業界別サイバーセキュリティ課題2025
金融・製造・医療・小売業の特化対策
業界固有のセキュリティ課題の深刻化
2025年のサイバーセキュリティ環境において、各業界が直面する課題はますます複雑化し、業界固有の特性を深く理解した専門的対策が求められています。デジタル変革(DX)の加速により、従来は物理的に分離されていた業界特有のシステムがインターネットに接続され、新たな攻撃ベクトルが生まれています。同時に、業界を横断する共通の脅威と、各業界特有のリスク要因が複合的に作用し、従来のジェネラリスト的なセキュリティアプローチでは対応困難な状況が生まれています。
IBM Security の最新調査によると、業界特化型セキュリティソリューションを導入した企業は、汎用ソリューションのみを使用する企業と比較して、平均的なデータ侵害コストが34%低く、インシデント封じ込め時間が42%短縮されています。これは、業界固有の脅威パターン、規制要求、ビジネスプロセスを深く理解したセキュリティ対策の有効性を示しています。
特に日本市場では、製造業のDX推進、金融業のデジタル化、医療業界のテレヘルス普及、小売業のオムニチャネル戦略などにより、各業界のサイバーセキュリティ投資が前年比平均37%増加しています。しかし、業界特有の課題に対する理解不足や専門人材の不足により、適切な対策を講じることができない企業も少なくありません。
金融業界のサイバーセキュリティ課題
デジタル銀行とフィンテック脅威
金融業界は、サイバー攻撃者にとって最も魅力的な標的の一つであり、2025年現在、攻撃の巧妙化と規模拡大が著しく進んでいます。特に、デジタル銀行とフィンテック企業の急速な成長により、従来の銀行業界で培われてきたセキュリティノウハウが追いついていない領域が生まれています。日本銀行の調査によると、2025年上半期だけで金融機関を標的とするサイバー攻撃は前年同期比89%増加し、特にAPI攻撃とアカウント乗っ取りが深刻化しています。
デジタル決済システムへの攻撃では、リアルタイム決済システムの脆弱性を悪用した攻撃が増加しており、従来の batch処理ベースのセキュリティ対策では対応困難な状況となっています。特に、Open Banking APIの普及により、第三者金融サービス事業者との接続点が増加し、APIセキュリティの重要性が飛躍的に高まっています。PSD2(改正決済サービス指令)準拠のStrong Customer Authentication(SCA)要求に対応しながら、ユーザビリティを維持することが金融機関の重要な課題となっています。
AI技術を悪用した金融詐欺
AI技術の発達により、従来の詐欺検知システムを回避する高度な攻撃が出現しています。機械学習モデルを悪用した adversarial attack により、正常な取引パターンを偽装した不正取引が巧妙に実行されています。また、生成AI技術を活用したディープフェイク音声による電話振込詐欺、AI生成文書を使った投資詐欺などが急増しており、従来の詐欺検知システムでは検出困難な事例が増加しています。
日本の金融機関では、特殊詐欺対策としてAI技術を活用した行動分析システムの導入が進んでいますが、攻撃側もAI技術を活用して対抗しており、軍拡競争の様相を呈しています。金融庁の指導により、2025年から大手金融機関にはAI技術を活用した詐欺検知システムの導入が事実上義務化されており、技術投資が急増しています。
暗号通貨とDeFiセキュリティ
暗号通貨取引所とDeFi(分散型金融)プラットフォームのセキュリティ課題も深刻化しています。2025年上半期には、暗号通貨関連のサイバー攻撃による被害額が前年同期比156%増の18億ドルに達し、特にスマートコントラクトの脆弱性を悪用した攻撃が多発しています。日本では、改正資金決済法により暗号通貨交換業者の規制が強化されていますが、技術的な課題は依然として残っています。
ブロックチェーン技術特有のセキュリティ課題として、プライベートキー管理、マルチシグ実装、スマートコントラクト監査、クロスチェーン攻撃対策などがあり、従来の金融セキュリティとは異なる専門知識が求められています。特に、DeFi プロトコルの複雑な相互依存関係により、一つのプロトコルの脆弱性が業界全体に波及するリスクが高まっています。
規制対応とコンプライアンス
金融業界では、Basel III、DORA、PCI DSS、SOX法など、多岐にわたる規制要求への対応が求められており、コンプライアンスコストが急増しています。特に、DORA(デジタル運用レジリエンス法)の2025年施行により、EU域内の金融機関はICTリスク管理体制の根本的見直しが必要となっています。
日本の金融機関においても、金融庁の「金融機関のITガバナンスに関する対話のための論点・プラクティスの整理」に基づき、IT戦略とビジネス戦略の一体化、サイバーセキュリティとレジリエンスの向上、デジタル化に伴うリスク管理の高度化が求められています。特に、第三者委託先管理、クラウド利用時のセキュリティ確保、データガバナンスの強化などが重点領域となっています。
製造業のOTセキュリティ課題
Industry 4.0とIT/OT統合リスク
製造業界では、Industry 4.0の推進により工場のスマート化が急速に進んでいますが、それに伴いサイバーセキュリティリスクが飛躍的に高まっています。従来は物理的に隔離されていたOT(Operational Technology)環境がIT環境と統合され、インターネットに接続されることで、新たな攻撃経路が生まれています。経済産業省の調査によると、日本の製造業の78%がOTセキュリティに関する課題を抱えており、特に中小製造業での対策遅れが深刻化しています。
IT/OT統合環境における最大の課題は、異なるセキュリティ要求の調整です。ITシステムでは機密性(Confidentiality)が最優先されるのに対し、OTシステムでは可用性(Availability)と完全性(Integrity)が重視されます。この根本的な違いにより、統合セキュリティポリシーの策定が困難となっており、多くの製造業企業が適切な対応に苦慮しています。
産業制御システム(ICS/SCADA)への攻撃
産業制御システムを標的とするサイバー攻撃が急激に増加しており、2025年上半期には前年同期比234%の増加を記録しています。特に懸念されるのは、国家レベルの攻撃集団による重要インフラへの攻撃で、電力網、水道システム、化学プラントなどが標的となっています。Stuxnet、TRITON、EKANS/SNAKE などの ICS特化型マルウェアの進化により、物理的な破壊を伴う攻撃が可能となっています。
日本では、2024年に発生したJAXA(宇宙航空研究開発機構)への攻撃、三菱電機への長期間にわたる潜伏型攻撃などにより、製造業のセキュリティ意識が急速に高まっています。特に、サプライチェーン攻撃により下請け企業経由で大手企業が攻撃される事例が多発しており、業界全体でのセキュリティレベル底上げが急務となっています。
スマートファクトリーの脆弱性
IoT機器、産業用ロボット、自動化システムが高度に統合されたスマートファクトリーでは、従来想定されなかった複合的なセキュリティリスクが生じています。特に問題となっているのは、Legacy システムと新世代IoT機器の混在環境における管理の複雑性です。多くの工場では、20年以上前に導入されたレガシーシステムが現役で稼働しており、これらのシステムは当初からセキュリティを考慮して設計されていないため、根本的な脆弱性を抱えています。
また、産業用IoTデバイスの多くは、更新頻度が低く、セキュリティパッチの適用が困難であることも課題となっています。製造ラインの停止を避けるため、セキュリティ更新を後回しにする傾向があり、結果的に脆弱性が放置される期間が長期化しています。
サプライチェーンセキュリティ
製造業のサプライチェーンは複雑で多層的であり、一次サプライヤー、二次サプライヤー、三次サプライヤーなど、多数の企業が関与しています。この複雑なサプライチェーンの任意の一点が攻撃されることで、業界全体に影響が波及するリスクがあります。2021年のSolarWinds攻撃のように、信頼されたサプライヤーが攻撃の起点となる事例が増加しており、サプライヤーセキュリティ評価の重要性が高まっています。
特に、半導体不足や地政学的リスクの高まりにより、サプライチェーンの多様化と複雑化が進んでおり、セキュリティ管理の難易度が増しています。NIST Cybersecurity Framework、ISO 28000(サプライチェーンセキュリティ管理)、C-TPAT(税関・貿易パートナーシップ・テロリズム対策)などの標準に基づく包括的なサプライヤー管理が必要となっています。
医療業界の特殊なセキュリティ課題
医療データの高い価値と標的性
医療業界は、個人の最も機微な情報である医療データを扱うため、サイバー攻撃者にとって極めて魅力的な標的となっています。医療記録は闇市場で個人情報の10倍から50倍の価格で取引されており、攻撃のインセンティブが非常に高くなっています。2025年上半期には、医療機関を標的としたランサムウェア攻撃が前年同期比127%増加し、特に中小規模の医療機関での被害が深刻化しています。
日本では、電子カルテシステムの普及率が大病院では90%を超えているものの、セキュリティ対策については病院間で大きな格差があります。厚生労働省の「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」に基づく対策は進んでいますが、実装レベルでの課題が多く残っています。特に、医療従事者のセキュリティ意識向上、適切なアクセス制御の実装、定期的なセキュリティ監査の実施などが課題となっています。
医療機器のサイバーセキュリティ
接続された医療機器(Connected Medical Device)の急速な普及により、医療現場に新たなサイバーセキュリティリスクが生まれています。心臓ペースメーカー、インスリンポンプ、透析装置、MRIスキャナーなどの医療機器がネットワークに接続されることで、患者の生命に直接影響を与える攻撃が理論的に可能となっています。
FDA(米国食品医薬品局)は、医療機器のサイバーセキュリティに関するガイダンスを継続的に更新しており、2025年からは新規承認医療機器に対してサイバーセキュリティ要件の遵守が義務化されています。日本でも、PMDA(医薬品医療機器総合機構)が同様のガイドラインを策定中であり、医療機器メーカーには設計段階からのセキュリティ考慮が求められています。
テレヘルスとリモート医療のセキュリティ
COVID-19パンデミックを契機として急速に普及したテレヘルスとリモート医療サービスは、新たなセキュリティ課題を生んでいます。医師と患者間の通信、医療画像の伝送、リモート診断機器からのデータ転送など、医療情報がインターネット経由で送受信される機会が大幅に増加しています。
特に課題となっているのは、患者の自宅環境におけるセキュリティ管理です。医療機関で厳格に管理されている院内ネットワークとは異なり、患者の自宅Wi-Fi、個人デバイス、公衆ネットワークなど、セキュリティレベルが様々な環境での医療データ処理が必要となっています。HIPAA(医療保険の携行性と責任に関する法律)、日本の個人情報保護法などの規制要求を満たしながら、利便性の高いサービスを提供することが大きな挑戦となっています。
医療AI・機械学習システムの脆弱性
医療分野でのAI技術活用が急速に拡大していますが、AI診断システム、画像解析システム、薬剤投与支援システムなどは新たなサイバーセキュリティリスクを伴います。Adversarial Attack により、AI診断システムが意図的に誤診断を行うよう操作される可能性があり、患者の生命に直接影響する深刻なリスクとなっています。
また、医療AIシステムの学習データには大量の個人医療情報が含まれており、Model Inversion Attack、Membership Inference Attack などにより、学習データが復元される可能性があります。これらの攻撃により、患者のプライバシーが侵害されるリスクがあり、医療AI開発においてはPrivacy-Preserving Machine Learning技術の実装が重要となっています。
小売業界のオムニチャネルセキュリティ
PCI DSS対応とペイメントセキュリティ
小売業界では、クレジットカード情報の取り扱いが中核業務となるため、PCI DSS(Payment Card Industry Data Security Standard)への準拠が最重要課題となっています。2025年現在、PCI DSS v4.0への移行が本格化しており、認証要件の強化、脆弱性管理の高度化、継続的監視の実装などが求められています。
特に日本の小売業界では、キャッシュレス決済の普及により、QRコード決済、IC決済、非接触決済など、多様な決済手段への対応が必要となっています。経済産業省のキャッシュレス推進により、2025年のキャッシュレス決済比率は目標の40%を大幅に上回る見込みですが、それに伴いペイメント関連のサイバー攻撃も急増しています。
eコマースプラットフォームの脆弱性
オンライン販売の拡大により、eコマースプラットフォームのセキュリティが小売業界の重要課題となっています。特に問題となっているのは、Magecart攻撃と呼ばれるWebスキミング攻撃で、正規のオンラインショップに悪意のあるJavaScriptコードを挿入し、購入者のクレジットカード情報を窃取する手法です。
2025年上半期には、日本国内でも複数の大手小売業者がWebスキミング攻撃の被害を受けており、顧客のクレジットカード情報漏洩が相次いでいます。これに対処するため、Content Security Policy(CSP)の実装、Subresource Integrity(SRI)の活用、定期的なWebアプリケーション脆弱性診断の実施などが求められています。
在庫管理・物流システムのセキュリティ
小売業界のデジタル変革により、在庫管理システム、物流管理システム、倉庫自動化システムなどがネットワークに接続され、新たな攻撃ベクトルとなっています。特に、RFID技術、IoTセンサー、自動倉庫システムなどの導入により、物理的な商品の動きがデジタル化され、これらのシステムが攻撃対象となっています。
サプライチェーン攻撃の一環として、物流システムを標的とする攻撃も増加しており、商品の配送遅延、在庫データの改ざん、偽造商品の混入などのリスクが高まっています。特に、Amazon、楽天、Yahoo!ショッピングなどのマーケットプレイス型ECサイトでは、複数の販売者が同一プラットフォームを使用するため、一つの脆弱性が多数の販売者に影響を与えるリスクがあります。
顧客データ保護とプライバシー規制対応
小売業界は大量の顧客データを収集・分析・活用しており、個人情報保護規制への対応が重要な課題となっています。購買履歴、位置情報、行動データ、嗜好データなどの収集により、詳細な顧客プロファイルが構築されていますが、これらのデータが攻撃者にとって魅力的な標的となっています。
GDPR、CCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)、日本の改正個人情報保護法などの規制により、顧客データの収集目的の明確化、同意取得プロセスの適正化、データポータビリティ権への対応、忘れられる権利の実装などが求められています。特に、クッキー規制の強化により、従来のWebトラッキング手法の見直しが必要となっており、プライバシー保護とマーケティング効果のバランス確保が課題となっています。
業界横断的な課題と対策
人材不足と専門スキルの確保
すべての業界に共通する課題として、サイバーセキュリティ人材の深刻な不足があります。特に、業界固有の知識とサイバーセキュリティ技術の両方を理解する専門人材は極めて希少であり、人材獲得競争が激化しています。(ISC)²の調査によると、日本国内では約28万人のサイバーセキュリティ人材が不足しており、特に製造業、医療業界での人材不足が深刻化しています。
この課題に対処するため、多くの企業がMSS(Managed Security Service)プロバイダーとの協力関係を構築しています。また、業界特化型のセキュリティベンダーとの長期契約により、専門知識を外部から調達する戦略も一般化しています。人材育成の観点では、業界団体と教育機関の連携による専門人材育成プログラムの充実が急務となっています。
レガシーシステムの近代化
多くの業界で、長期間運用されているレガシーシステムが新たなセキュリティリスクの源泉となっています。特に、製造業の制御システム、金融業の基幹システム、医療業界の電子カルテシステムなどは、設計当初からセキュリティを考慮していないものが多く、根本的な脆弱性を抱えています。
レガシーシステムの完全な置き換えには膨大なコストと時間が必要となるため、段階的近代化(Incremental Modernization)アプローチが採用されています。ネットワークセグメンテーション、アクセス制御の強化、監視システムの導入、ゼロトラスト原則の適用などにより、既存システムを保護しながら段階的に近代化を図る戦略が重要となっています。
規制対応とコンプライアンス管理
各業界特有の規制要求に加え、GDPR、CCPA、NIS2などの横断的な規制要求への同時対応が複雑化しています。規制要求のマッピング、ギャップ分析、対応計画の策定、継続的監視などを効率的に実行するため、GRC(Governance, Risk and Compliance)プラットフォームの活用が拡大しています。
特に重要なのは、規制要求を単なるコンプライアンス活動として捉えるのではなく、事業価値創造の機会として活用することです。適切なセキュリティ体制の構築により、顧客信頼の向上、競争優位性の確保、新規市場への参入機会の創出などが可能となっています。
業界連携とインテリジェンス共有
業界特化型の脅威に効果的に対処するため、業界内での情報共有体制の構築が重要となっています。日本では、金融ISAC、製造業サイバーセキュリティ研究会、医療情報システム開発センター(MEDIS)などの業界団体が中心となり、脅威インテリジェンスの共有、ベストプラクティスの普及、合同演習の実施などを行っています。
また、国際的な業界連携も重要で、Global Financial Innovation Network(GFIN)、Industrial Internet Consortium(IIC)、Healthcare Information and Management Systems Society(HIMSS)などの国際組織を通じた知識共有とベストプラクティスの学習が効果的です。
今後は、業界の枠を超えたクロスセクター型の脅威対応も重要となります。一つの業界への攻撃が他の業界に波及するリスクを考慮し、業界横断的な協力体制の構築が求められています。特に、重要インフラ分野では、電力、通信、金融、交通などの相互依存関係を考慮した包括的なセキュリティ対策が不可欠となっています。